発達障害の子が自立と就労の壁を乗り越える〈AERA〉

 

障害を見過ごされ、適切な理解・支援が得られず思春期に突入すると、ひきこもり、うつ、家庭内暴力といった「2次障害」に至る場合がある。仕事や生きがいを見つけ、自立につなげるにはどうしたらいいのか。(ライター・古川雅子)

 サトシくん(13、仮名)は発達障害の一つの「自閉症スペクトラム障害」があり、環境に変化がある春先に最も不安定になりやすい。公立中学に入学してまもなく学校生活に躓いた。

 サトシくんがほかのクラスに入り込んだことを、通りかかったベテランの教員に咎められた。校則で禁じられていたのだ。最初にからかったのは他クラスの生徒で、「入ってみな」とサトシくんを挑発したのだった。納得がいかなかったサトシくんは、廊下に出そうと掴みかかった教員に思わず手をあげた。

 その教員が打撲で診断書を取ったと連絡が入り、後日、サトシくんと両親は校長室に呼び出された。学年主任、担任、指導教員を含め大勢の大人に囲まれたサトシくんは、「警察に突き出すぞ」とすごまれ、公開謝罪のようだったと母親は振り返る。

「入学後すぐ担任に面談を申し込んだが断られた。わずか1カ月足らずでこんなことに直面するなんて……。せめて本人の事情を共有して先生と関係が構築できていればと悔やまれます」

 現在は「自閉症スペクトラム障害」と括られるが、サトシくんが小1で診断された当時の呼称は「アスペルガー症候群」。このタイプは知的に遅れもなく、まわりから「わがままな子」「頑固な子」などと思われやすい。周囲とのトラブルに発展することもある。

●登校しぶり昼夜逆転

 サトシくんは、この「事件」をきっかけにぽつぽつと学校を休むようになった。夏休み頃からは家でゲームやアニメに没頭し、昼夜が逆転していった。思春期にもなると腕力がある。母親に注意されてカッとなって突き飛ばしたら、当たり所が悪く、母親が骨折をした。そこまでの被害を想定していなかったサトシくん本人が何より驚いた。

 とうとう中2へ進級する目前、今年3月から不登校になった。

 発達障害と不登校が関係しているケースは少なくない。中学の特別支援学級に在籍していた生徒や、診断名を持つ生徒を積極的に受け入れている通信制の明蓬館高等学校(東京都品川区)には、毎年約150人の生徒が入学してくる。そのうち、発達障害の診断を受けた生徒、またはその傾向のある生徒が2割以上いる。なかには、発達障害があることを見過ごされ、小中学校時代に適切な支援を受けられず、叱られ続けて自己評価が低くなった生徒もいる。人間関係がうまくいかないストレスを抱え、ひきこもり、うつ、対人恐怖、家庭内暴力、依存症といった「2次」あるいは「3次」障害に至る事例はいくつもあるという。

 同校校長の日野公三さんは、日本の教育現場の現状をこう語った。

「義務教育では、発達障害のある子に対し『個別の支援計画』を作ることが求められています。本来は学校が計画作りを通して保護者や関係機関と連携していくべきですが、高校はおろか、小中学校でもまだまだ完全に実施されているとは言い難い」

 発達障害に含まれる「学習障害(LD)」がある子たちは、学びの場である学校においては苦痛を強いられる場面が多い。

 神奈川県小田原市の石井郁也くんは、ちょっとおどけて、

「僕はいま18歳。ある意味でひきこもりです(笑)」

 と自己紹介した。現在は明蓬館高校「品川・御殿山SNEC(すねっく)」に通う。同校では教室での一斉授業のかわりにパソコンやタブレットでネットの授業を視聴できる。義務になる登校は年4日間で、生徒の特性に合わせて学習環境を選べる。郁也くんは平日の空き時間に、地元で運送業のアルバイトもしている。

●勘違いで「サボってる」

 郁也くんにはLDの一種で読み書きに困難を伴う「発達性ディスレクシア」がある。郁也くんの場合、例えば、音楽でリコーダーを吹くことはできるが、音符という記号を「読む」となると、とんとわからなくなる。

 診断名は親を通じて学校側に伝わっていたはずだ。だが小学生の頃、努力して書き上げた提出物はいつも2本線で消され、赤字だらけになって返ってきた。字が読めずに諦めモードだった中学時代、郁也くんのことを先生たちは勘違いして「サボっている」と口々に言った。

<取り組んでも取り組まなくても怒られる。ならばはじめからやらないほうがいいのでは?>

<普通になりたい! 僕はなぜ普通じゃないのか?>

 荒れていた時期は腹いせに家のドアを殴って貫通させたこともあった。最初に入学した私立高校は、1週間で退学した。

「学校って『読むか書くか聞くか』でしょう? じっと座っているのも苦手な僕にはマイナスの材料ばかり。打ち込んでいた野球部の部活が中3の夏に終わってからは、学校に行く意味がわからなくなってしまいました」

●「自分レポート」で理解

 その頃、つながりのあった言語聴覚士の沖村可奈子さんから、

「お母さんでも先生でも、自分以外に自分のことをわかってくれる人が増えたらいいと思わない? そのために、まずは自分が自分のことをわからないと伝えられないんじゃないかな」

 と助言された。そこで、自己理解と人に伝達するツールとしての「自分レポート」に取り組むことになった。母と対話しながらこれまでの歩みを振り返り、うまく文章化できない部分は母の助けを借り、自分でもそれを直して完成させた。タイトルは、「高校生(いま)だから、伝えられること」。

──「友だちはどれだけの努力をしているのか。自分の努力が足りないのか」と思ってずっと悩んだこともあった。テストが始まり、周りはカタカタと音を立て記述しているのに自分はただ、何をしていいのかわからなくなって眠るしかなかった──

 A4用紙2枚、全部の漢字にルビをつけて印字されたこのレポートは、沖村さんが仲間と共同で主宰するNPO法人、発達サポートネット「バオバブの樹」の会報に掲載された。さらにはSNECで成績の評価が受けられる「学習成果物」として提出したところ、学校からは最高ランクの評価をもらった。

「いちばん困っているのは本人です。だから自分がいまできるのは、困っている小さい子たちに、自分みたいな思いをさせないように、まわりの人に伝えていくこと」(郁也くん)

 最近では悩む親たちの相談役を引き受けたり、大勢の前で講演したりしているという。

「ジョブセンター川口」(埼玉県川口市)は、発達障害を抱えて社会で働こうとする若者への就労支援に特化したセンターだ。全国に先駆けて、就職「後」にも職場へスタッフを派遣して本人と企業との橋渡しを担う「定着支援」に力を注いでいる。

 センター長の加藤正美さんによれば、高校までは特に問題行動もなく大学までスムーズに進学しても、就職の段階で躓く人が多いという。

●離職は5人のみ

 センターを訪ねると、オフィスを再現した一室で会社での業務を体験する「就労訓練」が行われていた。ここに週5日通う男性(24)は、美術系の大学を卒業したものの、就職活動で受けた10社いずれにも落ちた。センターに初めて来た時には自分が発達障害であると知らなかった。通所前に診断を受け、障害者枠で就活している。

 このセンターは、埼玉県が民間業者に委託する事業の一環だ。就職を希望する247人に就労訓練を実施し、これまでに県内3拠点で100人が就職した。離職した人は5人のみにとどまっている。

 一方で、就労「一歩手前」の支援も始まる。おおむね15~25歳の若者を対象にした「みつけばルーム」が6月、東京都世田谷区の国立成育医療研究センターに隣接する施設で開所する。

 もともとは、「せたがや若者サポートステーション」に集う人々の間で、就労の場を求めながらもきっかけがなかなか得られなかった当事者や親たちの居場所づくりのニーズがあった。また、そうした当事者の多くに発達障害の特性が認められた。とはいえ、唐突に「発達障害支援の窓口へ」と橋渡しはしにくい。そこで間口を広げて、生きづらい世の中をサバイブするための場として、2012年に「みつけば!」が誕生した。

●親亡き後見据え支援

 ここで当事者同士によるサポートが発達障害においても有効であると実証され、その姉妹版に当たる今回の「みつけばルーム」の開設に結びついた。ルームには発達障害の当事者がコーディネーターとして常駐する。

 スーパーバイザーを務める尾崎ミオさんは言う。

「対象になる人は、学校になじめない人、集団行動が苦手な人という具合にゆるやかにしました。発達障害の診断はあってもなくてもいいんです。自己認知を促すことにより、誰もが『ゆるサバイバル』できる社会にしていきたい。安心して失敗していってほしいし、居場所を得て自分を見つめるなかで、自分に合った仕事を見つけられたら」

 一方、発達障害などで長く引きこもる人の「親亡き後」を見据えた実践もある。横浜市で大人の発達障害の人向けの「サポートホーム事業」コーディネーターを務める、PDDサポートセンター「グリーンフォーレスト」の浮貝明典さんは、たとえば、ひきこもり生活が長く続く人の場合、仕事のスキルは高かったとしても、家での生活が昼夜逆転するなどして、結局は就職に結びつかなかったり、就職してもすぐに離職してしまったりするケースがよくみられるという。

「本当に一人ひとりを職場に定着させるには、就労支援だけを一生懸命やっていても難しく、自立のための『生活の支援』が欠かせません」(浮貝さん)

 他者とのコミュニケーションがうまくいかない発達障害の人の場合、一軒家に多人数が集う共同生活型のグループホームでは支援がたちゆかなくなる。だからといって、親元ですべての面倒をみてもらっていた人をいきなり一人暮らしに移行させるのはハードルが高い。

 そこで「サポートホーム事業」では、ワンルームの部屋が複数ある建物全体を一つのグループホームと見立て、入居者は一人ひとりがワンルームで一人暮らしをする形態を取った。いわば本格的な一人暮らしの練習場だ。親がきて掃除などをすれば、真の自立に結びつかないため、親からの支援は禁じている。

「予防的な意味合いもあり、親御さんが生きている元気なうちに、将来自分がいなくなっても子どもはこんなふうに生活していくというのを見てもらいたいんです。ひきこもりの人の面倒を長くみてきた親御さんは、長い間に共依存のような関係になっていることも多く、手を出さないと不安になりがちです。親亡き後を見据えて、親の側も自立してもらうことも大事だと考えています」(浮貝さん)

●タックス・ペイヤーに

 コーディネーターとグループホームの職員が連携しながら各部屋を定期的に訪問して食事、衛生管理、金銭管理といった細かな項目一つひとつの支援をし、どこまで自立しているか確認しながら生活のアセスメントを行う。職員は専用の携帯電話を持ち歩き、24時間体制で相談も受ける。2年の入居期間の中で、訪問頻度を徐々に減らしていき、自立へと導いていく。一人暮らしに移行後も、フォローアップをしていく。

 これまでにのべ30人近くが本入居して、そのうち十数人がホームから「卒業」していった。今のところ、一人暮らしが破綻して親元に戻ったというケースは一件もないという。

 子に自立して暮らしていく力を身につけさせるには、早いうちからの取り組みが欠かせない。中2の片山和くんを育てる裕子さん(43)の今の望みは、「息子をタックス・ペイヤー(納税者)にすること」。将来を見据えて何でも自分で実践させている。和くんは休日、自分で食べたいもののメニューを決め、材料をネットで調べ、スーパーで買ってくる。そんな日々の実践が、発達障害の子を自立へと導く。


※AERA 2016年6月6日号

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