発達障害の子育て 親の思い通りよりも「この子ありき」が大事

 

「我が子が障害児?」「なぜうちの子だけ?」。親たちは長らく迷い、とまどう。人とのかかわりが苦手な子がストレスを減らし、その子らしく生き抜くために。あえて社会に開いて新しい関係を築き上げた親子たちがいる。

 学習椅子には真新しいランドセルが掛かっていた。今春、神奈川県の小学校に入学した浜田リュウくん(6)は、おやつを前に「ヤッター、どらやき!」。生え替わりで前歯が抜けた愛嬌たっぷりの笑顔をみせた。

 リュウくんは3歳児健診で保健師から「発達障害の疑いあり」と指摘された。その後、病院で発達障害の一つ、知的に遅れのない「自閉症スペクトラム」と診断された。現在は公立小学校の通常学級に在籍している。

 入学当初から学校で給食当番も掃除もこなしていると聞き、母の悦子さん(36)は胸をなでおろした。登校3週目に、初めて一人で下校できたリュウくんは、帰宅後洗面所で手を洗う時に鼻歌を歌っていた。悦子さんは感慨深げに話した。

「保育園の時は本当に通えるようになるまでに3カ月ぐらいかかりました。その頃から考えると信じられないぐらいです。本人は今も人が集まる場所は得意ではありません。毎朝タイマーで計って5分でも好きなゲームをしてから登校します。『今日も一日がんばろう』と息を整える日課なのでしょう」

 幼少期、子育て支援の集まりに連れていっても、他の子たちと交わらない息子の姿に、なぜうちの子だけ? 次第に同年齢の子の集まりから足が遠のいた。

 当初は相談できる人もいなかった。自治体と提携している病院を受診しようにも待機者が膨れ、臨床心理士と面談するまでに半年、医師の診断を受けるまでに8カ月近くかかった。

●遊び感覚のおうち療育

 待機中、悦子さんはネットで情報を検索してふと、発達障害をはじめとする障害児への支援事業を行う会社が指導員を募集している広告に目が留まった。

「これしかない! ただ待機している時間がもったいない」

 悦子さんは、この会社で指導員としてのべ1200組の子と親に関わった。経験を積む中で、障害の特性やABA(応用行動分析学)をベースにした発達障害の子への療育法を学んだ。

 一方、リュウくんが4歳になる少し前のこと、悦子さんはジレンマを感じるようになった。発達障害の子どもは、成長にバラツキがある。家でも息子に療育を実践するなか、親がしゃかりきになるあまり、息子の側に「やらされている感」が漂っていたからだ。次第にリュウくんから笑顔が消えていった。

「療育の前に、『この子ありき』だという大事なことを、私は忘れかけていた」

 悦子さんは心のギアを入れ替えた。何度も反復させる訓練で子を変えようとする療育は、この際思い切ってやめてみよう。代わりに、療育のエッセンスは採り入れながら、子どもの行動をよく観察し、周囲の環境を変えることに徹してみようと。そこから悦子さんは、自宅でゆるやかにできる遊び感覚の実践を次々に着想した。名づけて「おうち療育」だ。

 例えばリュウくんがじっと座るようになる環境づくりのため、リビングのテレビの前にソファではなく、大きなバランスボールを置いた。テレビ好きのリュウくんは、気づけばそこに乗るように。悦子さんは瞬間を見逃さずに「あ、カッコよく座っているね」と気づいたらすぐ褒めた。するとリュウくんは姿勢を保つことに前向きになり、おのずとおなか周りの「体幹」の筋肉が鍛えられていった。

●父親にできること

 いま学校の授業時間は、立ち歩くことなくじっと座っている。取材で訪れた時、リュウくんはまるで曲芸師のように自由にポーズを変えながら、バランスを取ること自体を楽しんでいた。

「おうち療育家」として独立した悦子さんは、次々に生まれ出る実践法のアイデアを、同様に困っている母親たちにおすそ分けし、それが仕事にもなった。

「リュウが家から一歩も出られなかった時期、私自身も外出がままならず、不自由と感じたことは一度や二度ではありません。でも今は、この子のおかげで思ってもみなかったライフワークが見つかったと感じています」

 障害児の子育ては、母親が中心になりがちだ。一人にかかる負担も大きい。ならば母親と子どもたちのために、父親にできることは? そんな模索を続けてきた団体がある。2012年、埼玉県でシステム会社を経営する金子訓隆(のりたか)さん(48)ら、発達障害の子がいる父親10人が立ち上げたNPO法人「おやじりんく」(さいたま市)だ。父親たちが活発に交流する機会をつくり、父親の視点を生かしながら子育てや子どもの将来の自立・就労支援を考えていく。

●オヤジがブログで交流

 訓隆さんには、知的な遅れを伴う「自閉症スペクトラム」と診断された長男がいる。現在小5の真輝(まさき)くん(10)だ。診断を受けたのは、2歳10カ月のとき。訓隆さんはすでにその時、心の準備ができていたという。妻からの「SOS」を拾い上げ、ネットを介して情報を調べ上げていたからだ。

「公園で木漏れ日のキラキラを1時間ぐらい見上げている」

「ミニカーを一列に並べ続ける」

 妻から聞くこんな我が子の特徴は、自閉症の子を持つ母親たちが綴るブログの内容と合致していた。訓隆さんはブログの母親たちと連絡を取り合い、入手した情報をもとに自治体の福祉課や子育て支援センター、児童精神科医がいる療育施設など、手がかりがつかめそうな場所に足を運んだ。そうした場で出会った医師が、真輝くんを1年以上経過観察し、比較的早期の診断につながった。

「早くから就学に向けて計画したり準備できたりしたのは、出会いや情報があったおかげ」

 と言う訓隆さんは、今度は自分が発信する側にまわろうと決めた。かつて大手企業でITコンサルタントを務めていた経験もあり、情報発信はお手のものだった。真輝くんが3歳の時から、子育てブログ「マサキング子育て奮闘記」を始めた。

 求められるのは、オープンで信憑性のある情報だと考え、息子を実名かつ写真入りで紹介した。父親としての思いを等身大に綴ったブログは、一日4千アクセスを超えた。

「オヤジの僕がブログを書き始めたら、全国のオヤジたちからアプローチされるようになった」

 ブログを通じて、訓隆さんは発達障害児の親たち千人と交流を重ねた。ビジネスパーソン、社会的ネットワークを持つ人など、人材の宝庫だった。これらオヤジたちのパワーを結集して、発達障害児の支援や雇用創出に生かせたら。そんな思いが「おやじりんく」につながった。

●行事は自宅で予行演習

 子どもたちは地域の中で生きていってほしい。そんな願いから、この団体で児童デイサービスも開設した。それまでの仕事を退職してデイサービスの施設長を引き受けたメンバーもいる。

「発達障害児に日々向き合う母親たちを休ませるために、父親が仕事を休んで子育てをバトンタッチするのもいい。障害を理解し、広くリサーチして社会的課題を洗い出すことも重要。地域に出かけていって周囲の理解を求めるという役割もある。考えてみれば、父親だからこそできることは、いくらでもあると気がつきました」(訓隆さん)

 発達障害のある子を育てる親たちにとって最大のテーマは、将来の自立だ。

 千葉県の片山裕子さん(43)が目下取り組むのは、中学2年生の和くんの「自立大作戦」だ。

 和くんは軽度の知的障害があるが暗記力があり、「指導の工夫をして障害を目立たなくしました」(裕子さん)。計算がずば抜けて速く、そろばんは習い始めてすぐ有段者になった。百人一首も幼少時に覚え、競技かるた大会を総なめにする。

 けれども障害のため、人とのかかわりが苦手で、興味の範囲が狭く、不器用。感覚の過敏さもある。そんな側面をカバーするため、小学生までは裕子さんが何事にも先回りしてきた。

 幼少期は、シャツの襟首のボタンを嫌がって着ない和くんが幼稚園に通えるようにと、入園前に制服を入手。緩めて下の方につけたボタンで留める練習をし、それを毎日1ミリずつ上にあげていき、3カ月かけて着られるようにした。

 和くんは集団行動や状況の変化に対応するのが苦手。運動会、クリスマス会、遠足といった行事ごとは、全て家で予行演習して臨ませた。運動会で踊るダンスは、音楽テープをダビングして、家でも練習した。

●失敗は「あえてさせる」

 小学校に入り、給食当番も清掃活動も参加しなかった和くん。裕子さんは「いじめにつながるのでは……」とヒヤヒヤした。かっぽう着を買い、家で汁物だけはよそえるよう特訓をした。

 中1の時、裕子さんは発達障害に詳しい大学教授に相談に行った。国語の文章読解でつまずく和くんの勉強法を聞くつもりだったが、教授にこう問われた。

「お母さんは何を望んでいるんですか? 和くんを親の思い通りにしようと思っていませんか? 僕は和くんの将来を思えば、まず『自分が』やりたいことを見つけてほしい。『自分で』洗濯やごはんの用意、掃除ができるようになってほしいと思う」

 裕子さんはこの時はたと気づいた。いまこの子に必要なのは点数じゃなく自立だ、と。

「自立大作戦」には夫の功士さん(48)も全面協力している。週末はシェフとして家族のごはんづくりをする功士さんは、和くんに献立を決めるところから任せている。自分が食べたいものの材料をリストアップさせ、それらを買えるだけのお金を渡す。親はスーパーにはついていかない。ジャガイモ1個を買うのに、使い切れないほどの大袋入りを買ってくることもあるが、失敗は「あえてさせる」。

 取材で和くんの買い物に同行した。袋に入りきらないネギを手にした和くんは、購入する際、店員に交渉して半分に切ってもらっていた。その様子を伝えると、「へー、和がそんなことも。やらせてみるものですね」と裕子さんは目を細めた。

 発達障害の子と社会との段差を埋めるべく、親は幼少時から試行錯誤する。だがもっと難しいのは、親がその「ガード」を外すことなのかもしれない。

※AERA 2016年6月6日号

 

 

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